こんにちは。八光です。
みなさん、遊んでますか?
子どもは遊んで成長します。
が、大人になって遊んでばっかりじゃまずいだろうと、いつしか遊ぶ元気も、遊びごころも失ってしまっていませんか?
遊びとはなんでしょうか?
遊びとは「規格外の動き」のことです。
それはどんな働きをするのでしょうか?
車のハンドルにも『遊び』があります。
キチキチに決められた動きで制御するのではなく、少し、自由に動く隙間があります。
それがあることで自然の惰性も上手く使いながら、なめらかに運転することができます。
ちょっとした力が全部伝わったらどうでしょう?
急ハンドルになり危険だったり、ガタガタした運転になるでしょう。
人間でも遊びがあることでリフレッシュし、心身が回復し、うまく回ります。
それを全部なくしたらどうなるでしょう?
一時は非常に仕事がすすむかもしれませんが、緊張し、疲労し、余裕がなくなり、どこかで折れてしまうでしょう。そうしたら余計に時間がかかったり、止まって直したりしなくてはなりません。
きっちりやりすぎることが、非効率なのです。
人間同士のことにおいても、ゆるめ、許しあうすき間が必要です。
笑いあう余裕がないと、ギスギスし、にっちもさっちもいかず、ぶち切れる、、
ということになります。
遊びをいれることで心に余裕ができて、AでもないBでもない、新しい第3案を生む隙間が生まれます。
それに気付くためには、時間的、心理的、脳的余裕 プレッシャー少なく、隙間がある状態が必要です。
もちろん、遊びすぎ、たるみ、張りのない状態では力が伝わらず、何にもできません笑
何事も塩梅(あんばい)。
遊びがある状態、ない状態、うまい割合で同居させ、タイミングよく使っていくのがいいですね。
新しいアイデアは、許した隙間に生まれて育ちます。
そこにおもしろさや希望が生まれます。
キチキチに考えすぎると、できない。
相手の能力が発揮される隙間を許すことにもなります。
また遊びは様々な経験の宝庫です。
いろんな立場、いろんな角度から経験する(遊んでみる)ことで、柔軟なもののみかたができるようになります。たくさんの、他の人の気持ちにもなれるようになります。
不必要にみえることも、不正解もやってみると原理が分かる。
真剣勝負なら負けられないけど、ちょっと遊びなら、負けも認められる。
だからいっぱい遊んでみたほうが公平で冷静な判断ができるようになります。
遊び心、子ども心。
楽しむ気持ちを持つ。
そういう社会のほうが許しあえ、争い少なく、親和的な方向にすすめる。
まじめに考えれば、、いかに不まじめが大切かが分かる。
そこまで至ってないとすれば、なんと不まじめなことか、、
ん?よく分からなくなりましたね
つまり、大真面目と大不まじめ、両方よきように使うことが大事なのです。
遊びがついなくなってしまうときは??
ばかばかしいこと、損得ではないことに没頭してみてはどうでしょうか?
目先の成果に一喜一憂せず、ぼーっと流れに身を任せてみる。
規格の外へ出てみましょう。
自然の中で、既存の価値観を捨てて、予定もゆるめて、遊んでみる。
ただの人になる。
私達はそんな場所を作ろうとしています。
忍者の精神には、怜悧に律するこころと、とらわれず弾けるこころがあります。
あーそぼ!
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