忍者教育のかたち 本質力

八光ブログ

こんにちは、八光です。
また少し間があいてしまいました、、
もう少し気軽に書こうかと思いますので、よろしくお願いします。

今、前々から考えていた「忍者教育」について発想しています。
近日形にできればと思います。

忍者を育てよう、忍者の術技を教えよう、ということでは必ずしもありません。
その部分を含みながらも、本当の目的は人としての本質力を高めることです。
私が「忍者」のあり方、考え方に共鳴しているのは、人というのはあの手この手の総力戦だ、というところです。

つまり、一つのやり方にこだわってないということです。
分かりやすい武器を持って歩くわけにもいかないし、現地調達しなくてはいけない。
自分の得意パターンを使えばいい。けど、それが使えないときもある。なんとかするしかない。
もし現代、忍びという役割がリアルに存在するなら、間違いなくITは必須科目でしょう。

枝葉の部分は、自分の得意なものを選べばいいし、それは時代によっても変わってくる。
逆に変わらない部分は根本です。
葉っぱはたくさんあるけど、幹はひとつ。さらに言えば目に見えない「根っこ」が腐れば終わりなわけで、まさに命の根本です。

人間でいう根っこの部分とはなんでしょうか。
葉っぱの部分は個性であったり、個々の具体的能力、対応力だったりします。
それを支える部分は葉っぱの成長に栄養を送る部分。
健康でよく動く身体、それに付随したみずみずしい感性、そこから生まれる基礎的な経験値、思考力、精神性、などがそれにあたるでしょうか。

あとは自然と伸びます。

いきなり枝葉だけを伸ばそう、というのは無理があり、なかなか伸びません。
少し伸びたとしても充実感やエネルギーに欠けていて、潜在能力を活かしきれないで終わってしまいます。
あの勉強、あの努力はなんだったの?で終わってしまうパターンです。

具体的な種目、課題に立ち向かいながらも根本的な力が伸びた場合、どんどん成長していきます。成長にはエネルギーや柔軟性も必要なのです。
また、ほかの部分も伸びていきます。人間がやることは根本は同じなので、使える部分が多く、応用が利きます。
つまりずっと、何にでも役に立つ力です。

僕は教える仕事を長くしてきましたし、自分自身「成長、上達、向上」ということに興味を持ち幼少期から向かってきました。
世の中には真の向上に向けた学習があまり行われていないなと思います。
学校の受験勉強などは最たるものです。
とても悲しいことで改善されるべきと思っています。

真の学びには限りない喜びと可能性があります。
そこにもっと目を向けて欲しいなと思うし、そうなった社会は大きく変わるのではと思います。

僕もまだまだ未熟ですが、今まで学んできたことを総合しながら、本質的な向上を目指す活動を作っていきたいと考えています。

まだまだ語りたいことがあるので、また次回、、


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