忍道とは

八光ブログ

こんにちは、八光です。

今日は「忍道」について語ります。
言葉の通り考えますと、「忍び」の「道」ですね。

まずこの「道」という字がつくものを考えてみると、剣道、茶道、、いろいろあります。
高みへ到達しようとする道程のことですね。
これは技術だけでなく魂、精神、人間性を高める道です。

例えば剣道。
剣、というと武器ですから相手を殺傷するものです。
ひたすら人を斬る技を追及した時代から、江戸時代くらいになると戦乱がなくなってきます。
そこで剣を習得することの意味が変わってきました。

道場で稽古するときに、あいさつしたり、礼を重んじたりするようになりました。
これは単に剣で相手を殺すということを見るのではなく、相手がいるから自分も強くなれるのだ、高めあえることに価値を置こうとなってくるんですね。

やたら乱暴したり、恨みを残したりするのではなく、感謝をして研鑽し合う。
師匠がいて、強いやつもいてみんながいるから学べる。
動きの真理、心身の高みにも近づける。

殺し合い戦いあえば、それどころじゃなくなりますね。
秘密は教えないでしょうし、死んじゃったら終わりです。

そうやって高めあっていくうちに、「道」は出来上がっていきました。
失礼をし、社会から締め出されたらこれまた終わり。
総合的に豊かに生きられる、真の強さを身につけなくては。
どっちにしろ、あなたの人間性、弱さは剣にも出る、ひとつひとつ歩んで学ぶしかない。道だね!と。

専門で人を斬る人はいなくなりました。
剣道の中で自分を磨き、それが社会で活かされることがより大事になる。
それをさせて頂けるのもありがたい。社会があってこそ。

先輩に学び、後輩の面倒をみて、長期的に人として育ちあう。
世の中にも貢献していく上達、向上の教えが蓄えられていきました。

近世、それは壊されることになります。
圧倒的な勝利至上主義、経済パワー、新たな即物的欲望、スポーツの出現、、と、真の意味を提供できず形骸化し権威化したことによって「道」は本当の良さを無くしていきましたが、一部の素晴らしい人々によって受け継がれていきました。

今はビジネスやスポーツの中にも結局は「道」のような考え方が大事という認識が生まれ、広がっています。
全体的な関係性、高めあうことを大事にせねば、自他ともにバランスを崩し、元も子もなくなるということでしょう。


さて、忍道

「道」という点においては他の道と同じく
優れた忍術を身につければいい、ではなく、人同士が気持ちよく高めあっていける人間性、社会性を磨く。人生の各場でそれを生かし世に還元すること。
おごらず、誇らず

忍道ですから、そのテーマが「忍」です。
僕の解釈では、心の上に刃を置き、自分を見つめていくこと。
栄養学、学習学、全ての生活技術、健康、武術、移動術、心理学、コミュニケーション術、経済学、柔軟発想、使命、、生きて関係しあうことのすべてを包括的に身につけていくこと。
そしてこの世に使命を成し遂げるネットワークを作っていくこと。
したたかに、愉快に、摩訶不思議にやる。

忍をとおして、道をなす

僕が日本に帰ってきた意味もこれかもしれません。

日本にある深み、高みへと行けるあり方 その本当の良さが呼んでいた

そして縛られずに、包括的に、魅力的にやんなさいと 言われているようです。

まことに、八光流解釈になりますが、忍道の話でした。

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