素直さとは

八光ブログ

みなさん、こんにちは。八光です。

今日は「素直さ」ということを考えてみたいと思います。
あまりまとまっていませんが、つらつらと。

子ども達や大人も眺めていますと、素直さ大事だなあと思うことがよくあります。
それくらい人の状態を表す根本的テーマなのだなと。

この言葉を八光GPTに入れますと、、(私はAIではありませんw)
素直に受け入れる、素直にやってみる
人のアドバイスを我流の曲解なしに受け止め、無心に取り組んでみる、という雰囲気があります。

どうしても私が、私は、という意識が強いと
人からの指摘を冷静に受け止めたり、新しいものを虚心に吸収しようということができません。

有名な世阿弥先生も言っておられた「守・破・離」の「守」もこれですね。
まずは師匠の言われた通りのこと、型をきっちり守ってやる。
そこに必要なのは、良くなりたいと思う心
古い自分を捨ててでもいい、本格的に自己を開発したいという想いがあると思います。

さらに穿つと、
その奥には自分はもっと上にいける、という根本的な自己信頼。
客観的にみて今自分にはこの力はないということを受け入れられること、他者への尊敬、信頼もあるでしょう。
この先にはこんな素晴らしい世界があるんだ、やってみたい!と感動できるセンサーも必要です。


現代人はいきなり独創的なことをやろうとしますが、ときにそれは浅いところで止まってしまうこともあります。
浅い事は他の人でもできてしまいますし、人も自分も大きな感動に導くためには壁もあることでしょう。
そういう時に素直に他者から学ぶということが助けになります。

思えば日本語だって算数だって、運転のしかただって、僕らは自分で開発したわけではありません。
未熟さを受け入れ、他者の力も利用させてもらっていることを受け入れる。
あの人すげー!と認める。
それをありがたいこと、、と思うこと。

何をー!?俺はひとりで出来てるぞ!と思いあがると素直さは消えます。
素直さの奥には、自分は負けを認めたぐらいでは傷つかないのだ、という自己信頼、できないことぐらいで人は自分を下に見たりはしない、この先生に悪意はないのだという他者信頼が必要です。
素直になれない人は狭い自己、あるいは狭い人間関係の記憶に縛られているかもしれません。

何も考えずに受け入れる「鵜呑み」はまた違います。鵜呑み=素直ではありません。
何を誰から取り入れるかもとても大事ですのでそれはそれで考えねばなりません。

虚勢を張る裏には、自分を守ろうとする、劣等感、他者への敵対視があるかもしれません。
「自分はダメなときも受け止められた」という経験があれば、人のことも許せます。
責め合いがでると素直さは消えます。
素直の奥には、自分も他人も許している、許容があるのでしょう。

これまでのことや、今の自分、ま、どうでもいいよ。
そんなこだわりのなさ、成長への興味 明るくなればいい

ただただそこから真っ直ぐ伸びていけばいい。

しゃっちこばらずに、楽しんで。

素直さとは相手をほっこりさせるものですね。

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